つまらないブログとは?読者の愚かさを前提に書いている「優しい、配慮された」ブログ。
https://dameoyag.blogspot.com/2014/05/blog-post_8.html
私はとにかく時間が足りないので、通勤電車の中や仕事の休憩時間はスマホ片手にひたすら他のブログなんかを読みあさっています。
そんな中で面白いブログを見つけました。
イケハヤ書店
イケダハヤトさんが書いているブログです。って、いまさらですか。
いや、冗談抜きで私は知りませんでした。
賛否両論、いろいろな評価がある人のようですが、この賛否両論が出るということが面白いブログで大事な事なんですね。
そこで今回、面白い!と思った記事がコチラ。
「読者の知性を信頼していないブロガー」の文章はつまらない
毎日様々な人のブログを探しながら読ませてもらい「どうやったら面白い記事が書けるんだろう」とか、「何を書けば良いんだろう」とか、「よんでもらえる文章を書くにはどうすればいいんだろう」といった事を考え続けている中で、この記事は解りやすく大切な事を教えてくれた気がします。
ぼくは読者のみなさまの知性を信頼しています
見出しの言葉は上で紹介したイケダハヤトさんの記事中の一文ですが、まさにこの事がブログで記事を書く上でとても大切な事です。
この一言が自分のブログがつまらないと感じていた私の中に、なぜかストンと嵌ったというか腑に落ちたというか。
毒にも薬にもならない事を、他人から借りてきたような言葉で書いていたから私の文章は面白くないのか…と、気づかせてくれました。
個人のブログである以上、筆者のイロが出ていない記事など面白いはずがありません。
コメントでバカにされようが、批判を受けようが、知った事かという気概が私にはなかったのでしょう。
ぼくが冒険的な文章を執筆できるのは、読者のみなさんを信頼しているからです。ぼくがもしも「変なこと」を書いても、みなさんはそれが「変なこと」であることを、理解してくださると期待しています。だから、ぼくは一歩踏み込んだ表現ができるのです。上記は記事からの引用ですが、まさにその通り。
こんなこと書いて大丈夫かなといった懸念や、書いたことに対して自分でフォローを入れたりした読者を信用していない弱腰の文章では誰の心にも引っかからないつまらない文章になって当然です。
読者の愚かさを前提に書いていないか
読者が人の意見に左右されやすく何も考えずに盲目的に信じてしまうとか、わたし個人の意見にムキになって罵倒してくるという愚かな読者を想定して書いた文章は、「○○だと思いますとか、あくまでも個人の意見として○○」というような無駄な言い訳をしたり、注意書きを入れて配慮する必要があります。で、そんな気を使いまくりの「奥歯に何か詰まった」ような文章が、誰かの印象に残るでしょうか。
自分の意見を書けば、批判や反論は当然あり得るでしょう。
それを覚悟した上で、自分の切り口で自分の意見を書けるかどうかが人気ブログになるための第一歩を踏み出せるかどうかですね。
私は初心者ブロガーで、イケダハヤトさんが言うところの”つまらないサラリーマンブロガー”ですが、こういう記事を読むと「少しずつでも前に進んでいるような気がする」ので、ブログはとても楽しいですね。
結局、自分が楽しめるかどうか自己満足の世界ではあるのでしょうけれど、だからこそ面白いんでしょうね。
書き手が読み手の知性を信頼しない状態では、言論空間の質が劣化していきます。すべての書き手にはリスク特記事項の入念な記載が求められ、それを忘れたが最後、「愚か者がお前の文章を読んで、誤解したらどうするんだ!」と罵られることになります。そんな状況ではいいものが出てくるわけがありません。大企業の製品とか、民放のテレビ番組とかは、だいたいそんな感じで作られているとも思います。
引用させていただいたこの部分は、もろ手を挙げて全面支持させていただきます。
昨今のテレビ報道の凋落ぶりは、まさに視聴者や特定の誰かに配慮しすぎた結果です。
私がテレビを見なくなって何年か経っていますが、テレビを見たいという気になる事はありません。
それほど心に響かないうえに、綺麗ごとや建前ばかりで天邪鬼の私にとってはストレスの元になります。
嫌ならみない、そういう選択になりますよね。
人間は何かを目指して努力すれば、進化し続けるものだと思っています。
しかし、努力をしたからと言って、望む結果を得られるわけではないという事も知っています。
そのうえで、あえてチャレンジしていきたい。
なぜなら、自分が楽しいから。
たとえサラリーマンブロガーはつまらないと言われても、続けます。
今の私は全く面白くない記事を量産する素人ブロガーですが、多くのブログを読んで記事を書き、自分のスタイルを模索していきたいと思います。
筆者のプロフィールはコチラ
昨今のテレビ報道の凋落ぶりは、まさに視聴者や特定の誰かに配慮しすぎた結果です。
私がテレビを見なくなって何年か経っていますが、テレビを見たいという気になる事はありません。
それほど心に響かないうえに、綺麗ごとや建前ばかりで天邪鬼の私にとってはストレスの元になります。
嫌ならみない、そういう選択になりますよね。
人間は何かを目指して努力すれば、進化し続けるものだと思っています。
しかし、努力をしたからと言って、望む結果を得られるわけではないという事も知っています。
そのうえで、あえてチャレンジしていきたい。
なぜなら、自分が楽しいから。
たとえサラリーマンブロガーはつまらないと言われても、続けます。
今の私は全く面白くない記事を量産する素人ブロガーですが、多くのブログを読んで記事を書き、自分のスタイルを模索していきたいと思います。
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